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水戸地方裁判所 昭和44年(ワ)192号 判決

海外技術協力事業団承継人

原告

国際協力事業団

右代表者

法眼晋作

右指定代理人

前蔵正七

外四名

被告

黒沢常道

右訴訟代理人

上條貞夫

外一名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告

1  被告は原告に対し、金一三万五、五〇〇円及びこれに対する昭和四四年一月一一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。との判決並びに仮執行の宣言。〈後略〉

理由

一事業団が昭和三七年六月三〇日アジア地域その他開発途上にある海外の地域に対する条約に基づく技術協力の実施に必要な業務を効率的に行なうことを目的として海外技術協力事業団法によつて設立された法人であつたこと、事業団が右業務の一環として日本青年海外協力隊員を東南アジア・アフリカ・中南米の九か国に派遣し、これら隊員の指導管理を行なう者としてラオス・マレイシア・フイリピン・タンザニア・モロツコに事業団の職員である駐在員を各一名駐在させていたこと、事業団がこの駐在員を現地で補佐し、又はこれに代わる職務を行なう者として調整員の制度を設け、公募による一般隊員応募者のうちから選考し、隊員とともに日本青年海外協力隊訓練所において所定の訓練を受けさせたのち、これらの者を嘱託(無給)及び調整員として採用し派遣契約を締結したうえ、海外に派遣することにしていたこと、事業団は昭和四三年度における調整員の派遣計画に基づき、被告ら四名を調整員候補として選考し、隊員候補者とともに同年五月二七日から同年八月二四日までの約三か月間所定の訓練を受けさせ、被告を右訓練終了とともに同日付で、同年九月一二日マレイシア国に派遣する予定のもとに嘱託(無給)及び調整員として採用したこと、事業団が右訓練終了の前日である同年八月二三日被告に対し、将来被告との間にマレイシア国に派遣する旨の派遣契約が締結されることを前提に、支度料として金七万七、〇〇〇円、移転料として金五万八、五〇〇円の合計金一三万五、五〇〇円を前払い支給したこと、被告のマレイシア国派遣が遅延し、被告が同年一二月二六日ハンガーストライキを行なつたこと、事業団が被告に対し昭和四四年一月一〇日をもつて被告を嘱託(調整員)から解職する旨の意思表示をしたこと。ならびに事業団と被告との間には派遣契約という形式では契約が締結されず、被告がマレイシアア国に派遣されることもなかつたこと、以上の事実は当事者間に争いがない。そして、昭和四九年法律第六二号国際協力事業団法(同年五月三一日公布)によると、同法によつて海外技術協力事業団法は廃止され、新たに原告が設立されるとともに事業団も解散となり、その一切の権利義務が原告に承継されたことが明らかである。

(なお被告は、原告がいつたん事業団と被告との間において派遣契約が存在したと主張しながら、その後主張を変えているのは自白の撤回にあたり許されない旨異議を述べるが、原告がその請求原因において如何なる事実に基づき如何なる法律構成を行なうかはもつぱら原告が自由にその責任においてなすべき事柄であり、その主張を変えたからといつて自白の撤回にあたるものとはいえないのみならず、そもそも本件では被告が必ずしも派遣契約の予約が存在したとの点を認めたわけでもないのであるから、被告の右異議は失当というほかない。)

二事業団が被告を調整員として採用しその後前記解職通知を発し派遣を拒否するにいたるまでの経緯等についてみてみるに、〈証拠〉及び弁論の全趣旨を総合すると、次の事実が認められ(当事者間に争いがない事実を含む)、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1  被告は、昭和四二年三月国際基督教大学を卒業したが、同校学中からパンフレット等を通じ日本青年海外協力隊(以下「協力隊」という。)の仕事に共鳴を覚え、卒業後は協力隊に加わるべく日本語教授法関係のコースをとるなどして準備を進め、昭和四一年一二月ころ協力隊に志願書を提出し、同校卒業後も他に就職せずに協力隊からの連絡を待つていたところ、昭和四三年四月中旬ころになつて被告の問合せに対し協力隊から調整員という職種でアジアに派遣する方向で検討している旨の回答があつたので、これを了承して選考試験にのぞみ、第一次選考の書類審査については同年五月一日合格通知を受け、さらに第二次の面接、語学(英語)の選考試験を受けた結果、同月一五日付をもつて正式に昭和四三年度第一次協力隊隊員候補生調整員業種(派遣国未定)選考試験に合格した。

2  昭和四三年度第一次協力隊は総数三五名で、うち隊員候補生は三一名、調整員候補生は四名であつた。被告は、これら候補生とともに、同年五月二七日から同年八月二四日までの約三か月間東京都渋谷区広尾所在の協力隊訓練所において、派遣前訓練を受けることになつたが、右訓練は候補生全員が訓練所に合宿のうえ、語学、技術、心身鍛練、現地事情等について知識の修得、体力の増強をはかるべく行なわれるものであり、日曜日も日程が組まれ、期間中の自由行動は許されず、外出するにも訓練所長の許可を受けなければならないなど厳しい訓練計画のもとになされるものであつた。被告は、右期間中野外訓練において交通事故に遭遇し怪我をしたことがあつたものの、無事訓練を終了し最終審査も合格し、同年八月二四修了証書を受領するとともに、同日付で嘱託(調整員)として採用されたが、既にそれ以前に協力隊から同年九月一二日にマレイシア国に派遣する旨の通知を受けて出国準備を進めており、同年八月二三日には日本青年海外協力隊隊員の海外手当等に関する基準に則り前記支度料(外国において日本人としての品位を維持するうえに必要な支度をととのえるための費用)及び移転料(いわゆる引越しに要する費用)の支給を受けていたのである。被告は、協力隊からの通知のとおり同年九月一二日マレイシア国に派遣されるものと信じ、同年八月二四日以降前記支給された金員をもつて、寝具、衣類、カメラ、トランク等の海外で必要な生活用品、旅行用品等を購入して出発の準備を進めていたところ、同年九月六日突然協力隊からマレイシア国の受入態勢がととのわないので被告の出発はしばらく見合わせる旨の電報が届けられ、そのまま出発の時期もはつきりしないまま出発は延期となつた。

3  ところで、調整員の制度は昭和四三年度に始めて採用されたのであり、被告ら四名がいわばテストケースとして派遣されるものであつたから、事業団としては当然受入国との間に、調整員の入国、滞在資格の取得及び免税特権の供与等について事前に外交交渉を行ないその了解を得ておく必要があつた。マレイシア国においては、従前協力隊隊員についてはその資格において免税特権の供与が認められていたが、駐在員については協力隊駐在員の資格が認められておらず、単にOTCA駐在員として免税特権の供与が認められていたにすぎないので、新たに駐在員を補佐する協力隊調整員がその資格においてマレイシア国に入国し免税特権の供与等を受けることは、その前提として協力隊駐在員の資格も同国によつて認められることにほかならず、したがつてマレイシア国が協力隊調整員の免税特権供与を了解することは、同国の外交政策上の変更を意味することあつた。しかるに、事業団は、昭和四三年四月ころマレイシア国に対し、外務省を通じて協力隊調整員派遣について交渉を始めたものの、右の事情により同国から早急に免税特権供与の了解を取りつけることが難かしい情勢であり、同年七月三〇日には協力隊調整員がOTCA駐在員並みの入国滞在を認められる場合でも免税特権の供与は困難である旨の在マレイシア大使からの外交文書にも接しながら、なお同年九月一二日に予定どおり被告をマレイシア国に派遣できるとして、右交渉経緯を何ら被告に告げることなく同人に対する派遣前の手続を進めたのである。そして、同年九月六日になつてもついにマレイシア国の了解が得られず派遣遅延が確実となつて、被告に対し前記出発延期の電報が発せられるにいたつた。

4  ところで事業団が協力隊員候補生の募集に際して発行したパンフレットには候補生選考試験に合格し三ケ月の所定訓練を終了した者はその終了一〇日程度の後に必ず海外に派遣されると理解される趣旨の記載があり被告もその記載の趣旨を信用して訓練を終了すれば一〇日程度で派遣されるものと考えていたし、また事前に派遣遅延のあり得ることの説明も受けていなかつたので、同年九月一二日の出発が延期となつてもそれから近い時期に出発できるものと信じ、被告同様調整員としてフレリピン国に派遣される予定が遅延していた訴外西村俊一とともに協力隊訓練所宿泊棟に宿泊し、協力隊事務局において派遣団に関する情報を調査するなどしていたが、その後一か月、二か月と期間が遷延し、その間再三右西村とともに協力隊事務局海外課長らに対し具体的見通し等について尋ねてみたものの、明確な回答が得られなかつたため、次第に協力隊事務局に対する不満が募るようになつた。なお被告は、右派遣遅延中一か月金二万七、五〇〇円(もつとも当初は金一万五、〇〇〇円であつたが、被告らの要求によりさかのぼつて増額された。)の支給を受けていたが、現実に派遣されていれば、海外手当として一か月金二〇〇ドル(約七万二、〇〇〇円相当)のほか、一か月金一万五、〇〇〇円の国内積立金が帰国時に支払われることになつていたのであり、また派遣契約は期間を二年間として結ばれることになつていたので、派遣が遅延すればそれだけ帰国も遅延することになつた。被告は、同年一一月中旬をすぎても派遣実現の目途がたたなかつたため、訴外西村と相談のうえ、それまでの協力隊事務局に対する口頭での申入を文書化して要求を明確にすることとし、同月二一日始めて協力隊事務局に対し、派遣遅延の責任を明確にし詫び状を出すこと、被告らに対し十分な生活保障をすること、派遣の具体的見通しを提示すること等を要求する書面を提出した。そして、この書面に対する協力隊事務局の回答を全面的に不満とし、同年一二月一七日訴外西村と連名で、「あなた方事務局責任者に問う。あなた方は、我々西村俊一、黒沢常道の両人を半殺しにし、生活を破綻させ、人生の永き将来にわたる禍根を強いる気であるのか!」との書きだしで始まり、同月一九日午前一一時から協力隊事務局正面玄関前においてハンガーストライキに突入する旨の「ハンガー・ストライキ宣言」と題するビラを作成配付し、このストライキは一応中止したものの、さらに同月二一日「職員諸氏への訴え」と題するビラを、同月二五日「声明No.2」と題するビラをそれぞれ訴外西村と連名で作成したのみならず、同月二六日「無期限ハンガー・ストライキ宣言」と題するビラを作成し配付し、同日訴外西村とともに協力隊訓練所宿泊棟においてハンガー・ストライキを実行するに及んだ。もつとも、右各ビラの配付は路上で一般人に配るほどのものではなく協力隊事務局内において職員に配つた程度であり、ハンガー・ストライキも宿泊棟の自己の寝台で横になつていたというにすぎず、協力隊事務局職員の斡旋に応じて同日午後一〇時ころにはこれを打ち切つた。

5  協力隊事務局では同年一二月二六日ころ在マレイシア大使から協力隊調整員の免税特権が供与される旨の電報を受け、同日をもつて被告を派遣するうえでの外交上の障害はなくなつたのであるが、そのころから被告らの前記ハンガー・ストライキの行動等に照らし被告が協力隊調整員として不適格ではないかとの意見が強まつたため、同月二八日被告から調整員として働く心得を吐露する誓約書を提出させ自宅待機を命じたうえ、翌四四年一月五日、六日にかけて外務省その他関係機関の意見を聴取したところ、否定的な意見が殆んどであつたので、協力隊事務局はこれらの意見を参考に同月九日最終的に被告を嘱託(調整員)から解職する措置をとることにし、ここに被告をマレイシア国に派遣しないことが確定した。

三そこで、これまで説示した事実関係をもとにして

1  まず原告は事業団が被告をマレイシア国に派遣し被告は派遣先国で役務を提供すべき双務契約は成立するに至らなかつたと主張し、被告は、たとえ派遣契約という形式の契約が締結されなかつたとしても、事業団が被告を嘱託(調整員)として採用した昭和四三年八月二四日以降被告をマレイシア国に派遣すべき義務を負つたのであり、前記支度料、移転料はその反対給付として支給されたものである旨主張するのでこの点について判断する。

この点については、当裁判所は、契約という形式の契約が締結されなかつた以上、後述の派遣契約不在を本件不当利得請求の理由として原告が主張できるかどうかの問題はこれを別にして直接被告の派遣義務が生ずるものではないと解する。

けだし、〈証拠〉によれば、これまで協力隊隊員を海外に派遣する場合には事前に必ず派遣契約という形式の契約を締結しているのであつて、派遣契約書に記載されている内容は派遣についての双方の基本的な権利義務に関する事項であることが認められるのであり、したがつて協力隊調整員についてもこれと同様に解されるところ、海外派遣というような外交上の問題に関する事項については、文書をもつて派遣する者と派遣される者との間の約定を明確にしておくことが当事者の通常の意思に合致すると考えられるから、派遣契約の締結をもつて具体的な派遣義務、役務提供義務が双方に生ずると解するのが相当なのである。従つて事業団が被告を嘱託(調整員)として採用した時点においてすでに事業団が被告を海外に派遣し被告が派遣先国において役務を提供すべき双務契約が成立したとすることはできない。

2  次に被告は、仮りに事業団と被告の間に前記の如き双務契約が成立しなかつたとしても事業団には元来被告との間に派遣契約を締結すべき義務があり、またその契約を締結することは可能であつたのに事業団の責に帰すべき事由によりその締結が不可能となつたのであるから原告がその不存在を理由として不当利得の返還を請求することは民法第一三〇条の趣旨を類推適用すれば法律上許されないところであると主張するのでこの抗弁について判断する。

ところで、被告の派遣遅延の事情、解職にいたる経緯等は既に説示しとおりであるが、これらの事実によれば、被告が訴外西村とともになした派遣遅延についての協力隊事務局に対する要求及び抗議行動の面のみとりあげてみると、とりわけ託び状の要求ビラの配付、ハンガー・ストライキの実行等につきいささか妥当を欠き行きすぎと考えられる点がないでもなく、従つて事業団がかような刺戟的な行為を敢えてする被告を外交に関し微妙な影響を与えかねない国際親善を目的とする協力隊調整員として派遣することに危惧の念をいだくにいたり被告を調整員から解職して遂に派遣契約締結の運びに至らなかつたこともあなかがち無理からぬところとして是認できないわけではなく、国際外交の特殊性を考えるとき被派遣者の性格についていさゝかでも疑問を抱き乍らなお且つその者と派遣契約を締結して海外に派遣する義務が原告にあるとすることはこれを容認することはできない。

しかしながら、翻つて考えてみるに、被告らが右のような行動をとらざるを得なかつたことについてはむしろ事業団側に責められるべき落度があつたといわざるを得ないのである。すなわち、被告の派遣遅延の原因は直接的にはマレイシア国の外交政策上の理由によるものであるけれども、被告を派遣する事業団としては、協力隊調整員の免税特権供与等につき事前に十分相手国の外交政策を検討して外交交渉を行ないその了解を得られるであろうとの見通しをたてた上で被告の派遣計画並に被告に対する派遣前の手続を進めるのが筋道であつたと思われるのであるが、その見通しの甘さから長期間にわたる派遣遅延の事態を招いたのである。勿論外交交渉は相手国側の出方如何にかゝる微妙な点があつて交渉妥結の成否あるいはその妥結の時期等に関する見通しの困難さは理解できるところであり、その見通しに誤りがあつたからといつてそれを一概に責めることはできないとしても前段認定のように事業団は恰も訓練を終了すれば一〇日程度の後には直ちに派遣されるものとも受けとられるようなパンフレットを発行し従つて被告がそのように理解しても無理からぬところであると思われるような協力隊員の募集方法をとつたことは事業団の派遣事務処理の方法として杜撰の謗りを免れないところである。しかるに派遣遅延についての納得のいく説明も受けられず、かつ派遣の確実な見通しも告げられないまま、いわばずるずると期間が徒過していつたのであるから、心中不安と集燥にかられたであろうことは容易に想像のつくことである。したがつて、これらの諸般の事情を合わせ考えると、被告が訴外西村とともに前記ビラを配付しハンガーストライキを実行した心情には同情できる余地があり、事業団の派遣事務処理の杜撰さに照らしてみれば、事業団が被告に対してこれらの行為の責任を強く追求するのは、いささか顧みて他を言うとのそしりを免れないものと思われる。しかも本件では、被告の派遣が可能となつたのは昭和四三年一二月二六日ころと当初の派遣予定日から約三か月半も経過した時点であり、事業団は同月二八日被告から調整員としての職務に精励する旨の誓約書を提出させておりながら、翌四四年一月一〇日をもつて突然嘱託から解職する旨の通知をしたのであるから、被告としては、それまでには昭和四三年八月二三日に受領した前記金員を出発準備の費用等諸般の出損にあてていたのは自然の成行きといえる。(もつとも法律的な現存利益の有無は別問題である。)

以上説示したところを総合考慮すれば、前段において説示するように国際外交の微妙性重要性から前記認定の被告等の抗議行動にその行動に出でるについて無理からぬ点があつたとしても、いやしくもかゝる行動に出てた者は海外に派遣すべきものとして適性を欠くのではないかとのいさゝかの疑念でも残る限り事業団はその者との派遣契約締結を拒否し得べくその拒否のやむなきに至つた事情について寧ろ事業団側に責むべき事由があつたとしてもこの派遣契約締結はこれを法的に強制できる性格のものではないといえる。

しかしながら派遣契約の不存在を理由としての本件仕度料ならびに移転料の不当利得返還請求は信義誠実の原則に悖るものとしてこれを容認し難い。けだし事業団は前記のように協力隊員の募集に当り隊員は三か月の訓練後一〇日程度の後に必ず海外に派遣されるであろうとの予期を抱かせても当然とも思えるパンフレットを発行し、被告を協力隊員として応募せしめこれに三ケ月間の訓練を施した上調整員として採用したが必ずしも正確で万全であつたとはいえない見透しのため被派遣国との交渉に手間取つて被告の前記抗議行動を誘発し遂に被告を調整員から解職するのやむなきに至つたため派遣契約不締結の結果を招来したものであつて、この契約不締結は事業団によつてその締結を妨げられたのにも等しいものとして、民法第一三〇条の趣旨を類推適用し被告主張の原告の被告を海外に派遣する義務と被告の役務提供義務が相互に存在する双務契約が成立するに至らなかつたとしても原告としては右契約の不存在を主張し本件の不当利得返還を請求し得ないものであると解するのが信義の原則に合致する所以であると思料されるからである。また被告としては海外に派遣されて提供すべき役務の提供が派遣契約不締結によつて不可能となつたのであるがその不可能は前記のように原告側に帰すべき事由によるものであるから民法第五三六条第二項の危険負担の原則に則りその給付がなくでも反対給付の請求権は失われないから被告の受領した支度料移転料は被告にとつて不当利得となるものではない。

四以上のとおり、信義則によつて民法第一三〇条の趣旨を類推適用すれば派遣契約不存在を理由として本件の不当利得返還の請求をすることは許されないとする抗弁は採用でき、原告の本訴請求は理由がないことに帰するからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(菅野啓蔵 太田昭雄 武田聿弘)

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